Monday, May 22, 2006

感動ってなんだろう? どうすれば人を感動させられるのだろう?

最近そんなことを考えている。何故そんなこと考えているのかって、もちろん、それには理由がある。

...起業をしたいからだ。

”起業”というのは、”会社”を創ること。では一体”会社”とは何だろうか。
会社というのは利益を求める団体、利益を追求する組織なんだと考えている人は多いと思う。実際、僕もそう思っていた。良いとか悪いとかではなく、資本主義社会っていうのはそういうものなんだと。特にここ数年の株式投資ブーム、世間を騒がせているM&Aのニュース等を見聞きしていると、ますますそう思ってしまう。
ところが最近ビジネススクールへ通い始めて、そうではないんだということを叩き込まれている。目から鱗だ。
会社とは、そもそも社会に貢献し、社会を発展させるために存在するのである。言われてみればその通りだ。だいたい社会一般に認められている会社っていうのはどこも、そのミッションに”社会に貢献する”と謳っているではないか。
会社というのは、人々に価値を提供することで社会へ貢献する組織。そして投資というは、その会社の社会への貢献活動に賛同した人がその活動を応援するためにお金を出資する行為なのである。
そして顧客はその会社が提供する価値に対して、対価を払ってくれるのである。顧客の満足が高ければ、当然売上が上がり、利益も出る。それを会社は株主や従業員を含め、あちこちへ再分配する。
これが”原始的な”資本主義経済の姿だ。とてもシンプルだ。

サラリーマンとして働くなら、まあこんな話はどうでもいいだろう。けれど、起業をしようと考えるなら、この認識はとても重要だ。起業家のGOALがお金にあるなら、そこに集まる人、つまり投資家と顧客はお金を目当てに群がってくるだろう。そして、十分な金銭のRETURNが得られなければそれは即”失敗”ということになってしまう。一方、起業家のGOALが社会への貢献であれば、集まってくる人たちは、その起業家の価値観に共感した人であり、短期的な金儲けを目当てにはしないだろう。そして、価値観=夢を共有できる人たちが集まれば、少々の困難にへこたれない強さを持てる。実際に成功している起業家たちはなんらかの形で社会への貢献することへの夢を持ち、困難を乗り越えてきている。失敗する人には、その理念がない場合がほとんどではないか。

こんなことを踏まえて、では一体自分はどうすればよいのか?という話になる。

今、世の中を見渡してみると、なるほど成功している会社というのはきちんと”価値”を提供している。自動車、鉄道、携帯電話、レストラン、コンピュータ、インターネット、これらは今の生活の価値を支えている。
では、自分が成功するためには、社会に価値を提供できれば良いのだろうか。それは必要なことだ。必要なことではあるが、決して十分ではない。世の中で成功するにはその更に先、一歩先が必要なのだ。今、ヒットしている”もの”や”こと”っていうのはなんだろうか。たとえばサッカーのワールドカップ、開幕前からからこれほど皆がエキサイトしている。大きなお金が動くのは間違いない。映画”ダビンチコード”。もうすでに大ヒットである。トヨタの高級車レクサス。カローラと何が違うのだろうか。ポルシェ。なぜこんなに乗りたいって思わせるのだろうか。行列のできるラーメン屋。なぜわざわざ並ぶのか。キーワードは”感動”である。 これらは皆、価値を提供するに留まらず、更に一歩進んで、人々に”感動”を提供しているのである!

そう、つまり、起業家として成功するには、人々に感動を提供することが重要なのだ!!!

だから起業家としての出発点は、いかにしてお金を儲けるかではないのだ。極端な話、そんなことはどうでもいい、(成功してから考えればいい)。 本質的な問題は、いかにして人を感動させるか、これを考え抜くことにある。

だが、これはそう簡単なことではない。 人を感動させるっていうのはやっぱり難しい。

まずは自分の身近にいる人を感動させてみる。 そんなことを意識してみようと思っている。

3 comments:

kuzira said...

写真一枚でも感動させられるから・・。表現しようとすることが、感動させる第一歩なのかしら?最近私もよく考える。

sunrise said...

kuziraさん、どうもありがとうございます!

写真に関しては、実は感動してもらおうなんてことはまったく考えてなくって…。実際には、ただ感じたままに写真撮って、”見やがれ、この野郎!”ぐらいのwildなテンションで、公開してたりします。はっはっは。すみません。m(_ _)m
… :p

でも、後付けで、少し理屈っぽいことをいうと、自分がその写真を撮ったときに感じた”ストーリー”をとにかく誰かに共有してほしい、共感してほしいって気持ちはすごく強くあります。実際、それが写真を撮る原動力なのかもしれません。

人が感動するには、そこになにか”ストーリー”がなければならないと思います。理路整然としたロジックには、人は納得はしても決して感動はしません。
写真は、自分の感じた”ストーリー”をヴィジュアル化するものであって、その”ストーリー”が何らかの意味を持つものであれば、人に共感を抱いてもらうことは可能だし、さらにその写真が十分なストーリー性を持っているならば、人々を感動させることも十分できるのではないかと感じています。

このあたりの話は、実は改めて記事を書こうと思っています。ので、お楽しみに!

kuzira said...

”ストーリー”について、私の勝手な解釈ながら、すごく感じるものがあります。

実は、建築を考え始めてから、理論責めで展開していく建築手法に違和感を感じはじめているんです。確かに説得力があって、おもしろいとは思うんだけれど、”共感”というところまでは、なかなか達する物が少ない。

それよりも、街中を歩き回って、ふと出会ったなんでもない建物に魅了されてしまう。概して、そのたたずまいに惚れ込んでしまうんだけれど。この”たたずまい”は”ストーリー”とも言えるんじゃないかな。

それは、建物であったり、ただの道だったり、倉庫の中だったり。立ち止まって、その場を確認してしまったとき、すごく幸せになる。建築の仕事しててよかったぁって、こういう時に感じる。でも、この幸せ感をどうやったら人と共有できるんだろう?

大抵、”建築”って話から人と会話をし始めると、なにか大きく食い違いを感じながら話を修了してしまうことが多い。たぶん、すごく理屈っぽいと思われているんだと思う。違うんだけどなぁ。

随分、私的な話になってしまいました。すみません。

”ストーリー”と”感動”と”企業”の話。楽しみにしています。